未知数と変数
先日の音声配信で「nLDKを超えろ」という話題になった。
この時、ぼくの頭の中では「エヌ」は思考することもなく「小文字のn」だった。
「大文字のN」である可能性を、1mmも考えていなかった。
ところが、まとめてもらった目次には「NLDK」と書かれていたので、強烈な違和感に襲われたぼくは「nLDK」に修正してもらった。
でも、修正してもらったあとからずっと、
「なぜ小文字なのだろう?」
という疑問が頭を離れない。
調べ始めてすぐに変数に命名規則がないことを知り、ぼくの認識は慣習に流されていたことに気づく。
面白くなってしまって、ぼくはこのバイアスを深掘りしてみたくなった。
そもそも、ぼくの認知の偏りは、未知数との比較にはじまる。
方程式などで特定の値が与えられていない数値、一般的に方程式の解となる対象が未知数。
ぼくが未知数と出会ったのは中学生。この時の未知数は、
「2χ + 1 = 5」
のように、求める対象の未知数は小文字のχだった。
ところが、方程式をつかって円の面積や体積を求めるような問題になると、
「S=πr^2」「V=4/3πr^3」
というように表記される。
求める目的が半径rの場合は、rが未知数になるので小文字のχと大きな違いはなく、未知数が小文字であることに違和感はない。
一方で、求める目的が直径や面積や体積になると、S,Vが未知数になる。
でもまあ、ここまではまだいい。
なぜならS(Surface areas)もV(Volumes)もイニシャルだから。
なので未知数であっても大文字であることを納得しやすかった。
裏を返せばたとえ変数であってもイニシャルの場合は大文字になりうるのだというような思考構造が内在していることになる。
今思えば、この時点で慣習の定義化というバイアスの萌芽はあったように思う。
その後も、連立方程式や二次方程式、図形問題と進むに従って小文字で表記される変数、大文字で表記される未知数が反復参照され続けることによって、いつの間にかぼくのなかで「変数は小文字」という認知の偏りが発生したのだろう。
そしてこの思考フレームは、固有名詞と一般名詞の慣習とも関係しているように思う。
固有名詞のイニシャルは常に大文字だが、一般名詞にはその規則はない。
この規則が内在するのは、「大文字=特別」という概念。
一方、数式という構造には、
その解を目的とする「未知数」、解を求める手段としての「変数」という概念があり、未知数が大文字で表現される場面も多い。
こうして。
目的>手段という概念が目的を特別化する傾向を生み出し、特別化の象徴としての大文字という表記が未知数=大文字という慣習を発生させ、その対置として変数=小文字というバイアスを生み出したように思う。
数式の世界には当然ながら解が収束しない現象も数多あるけれども、
世の中でいわゆる「計算」がなされる場合はいずれにせよ「特定の解」が現れることが多い。
なぜなら、欲しい解を目的として数式がつくられるから。
数式を手段として、ある特別な解を提示するという目的があるから。
そんな時、
Variableなはずの変数は隠れた意思を纏い、
Unknownなはずの未知数は、恣意性を帯びる。
目的が手段になり、手段が目的化するのも、まさにこの思考構造。
反復参照による慣習の定義化がもたらすバイアス。
構造的にはまったく同じ。
音声対話だけでは気づかなかったけれども、文字化することで見えた世界。
まったく意図することなく、未知数や変数に着色していた自分の脳構造の世界。
こうして今日も、認知的不協和を愉しむ。