心の残像 言葉の残響

比較を測るものさしは、本質的には対立だなって、思う。

相補を想うものさしは、本質的には調和だなって、思う。

 

比べるという行為が行われる以前は、間違いも正しいもないのだけれど、

比べるという行為が行われることで、間違いや正しいという対立が存在する。

 

協力したいという気持ちがなければ、調和という概念すらないのだけれど、

協力したいという気持ちが見えるだけで、調和という概念が生まれる。

 

比較は結果を求め、相補はプロセスを感じる。

「正す」よりも「合わす」

比較の後で残るのは他人事だけれども、相補の最中に感じるのは自分事。

だから、心の残像とか言葉の残響とか。

残る側に意識が傾くのは、比較の後だからなんだな。

そんな心の力学について、ふと考えてみた。

 

観測する事で結果が決定される量子の世界。それまでどっちも起こりうる確率の世界。

量子力学の世界と、心の力学の世界は、なんだか似ている。