「数」と「風」

身体が向かうベクトルとペダルの回転速度

それらが地球の自転とリンクしたとき ぼくは走っているのに風を感じない

   

風のただなかで無風に身をゆだねていると

静かに 確かに

その存在の一部としての自分が感じられる

   

一方で

スピードを緩めると 背中に追い風を感じ

早めると 胸に向かい風を感じる

無風のなかに揺蕩うとき 「自分」という身体は世界とひとつながりに溶け広がっているのに

追い風や向かい風は 「自分の出来事」として 「一人称の意識」として 知覚される

   

この一人称の知覚は 時間の認識と同じじゃないかな

とふと思う

   

時への欲求がないとき ひとはその変化を知覚しないけれども

ゆっくり流れてほしいとき 早く過ぎ去ってほしいとき

人間は 時と時の間を強く意識する

   

時間は 絶対的な存在ではない

あるのは相対的に変化している一人称の知覚

   

時間の認識は 数の概念から発見されたものだという

時間は不可逆的だと思われているけれども

その大元の数の概念にはきっと まだ風は吹いていないのだろう

   

こんなことを考えながら 空を切り取ってみたら

そこは何も流れていない ただの静寂だった

   

「数」も「風」も この静寂を彩る絵の具なんだな