集団

自分の境界はどこなのか

そんなことを ときどき考えていたが

 

集団の境界はどこなのか

そんなことも しばしば考えるのです

 

たとえば、

家族 親戚 友達

市町村民 都道府県民 国民

日本人 アメリカ人 フランス人

東洋人 中東人 西洋人

 

どんなカテゴリーを設定するかで集団の境界は変幻自在だから

集団の境界は とっても恣意的なはずなのに

カテゴリーの定義はなぜかロジカル

 

でも、それも。

どの論理を選択するかは とっても恣意的なのです

たとえばで綴った集団の物差しは 人類学的だったり社会学的だったり地政学的だったりするけれども

生物学的な物差しで測ってみると ヒト属 でひとくくり

 

集団の境界は どんな物差しを当てるか次第なのです

 

 

もし あらゆる制限から放たれたヒト属がいたら

無人島の住民のようになるのかな

そうなると その島にどんなにヒト属が集まろうとも

きっと 無人島のままなんだろうな

 

集団の境界が なんか少しだけわかったような気がする

物質的な集合、概念的な集合を超えて

自分の境界の外側同士が 優しさで交わるとき

無人島にも 集団ができるのかなって思いました