「正しさ」と「整合」

解釈が妥当であるかどうか
それを「正しさだけ」に求めるならば
ただ一つの解釈だけが正解となり
それ以外の解釈はすべて間違いとなってしまう
この正解とは
いついかなる時も、常に正解であり
正しきものとしてあり続けること
いついかなる時も、その正しさはゆるがず
それ以外の解釈は常に「間違い」となる
解釈が妥当であるかどうか
それを「整合性だけ」に求めるならば
解釈の数だけ正解となりうる
この正解とは
その日、その時、その場所における正解であり
整合である限りその維持が認められる状態であること
ある日、ある時、ある場所においてその整合が崩れた時
その正解は正解ではなくなるが、
それでもそれは「間違い」ではないのだ
新しい「正解」という解釈が生まれたということなのだ
生きるとは、解釈の連続である
であるならば、その解釈の妥当性に
正しさを求めるよりも
整合性を求める方が
豊かではなかろうか