ひとふで描き
手で描く理由。
手振れがもたらすゆらぎが、思考の余白をもたらすから。
空間を考える時。そのエスキスは手で描く。
陰影でスケッチして、徐に形が現れるという手法もあるが、僕はもっぱらワイヤーフレームだ。
手描きのワイヤーフレームは不正確極まりない。意志と意識が合間って、ペンを握る指先は自分が行きたい方向へ無意識のうちにペン先を誘なう。ペン先はゆらぎつつも、何かひとつの方向に向かって進んでいる。
そんな指の運動を、僕の意識は頼もしげに眺めている。
確証バイアスだって、悪いことばかりでもないだろう。
思考の余白に降りてきたゆらぎを捕まえた時、僕は自分の意志を再認識する。
本に書きこむ理由。
僕にとって、本の余白は日記帳のようなものだ。
本質は同じ。
思考する意志を言葉に写しとる時、無意識のフレーズが生まれる。
それと同じように、思考する身体の動きを線に写しとる時、無意識のフレームが生まれる。
このフレームを掴み取ったとき、何かがカチリと嵌る音が聴こえる。
直観を磨くこと。そこにセンスが宿る。
思考していたら、意志のフレームに追いつくことは決してない。
だから僕は、身体が奏でるひとふで描きのリズムに耳と心をそば立てる。