境界

自分の境界はどこなのか

ときどき そんなことを考える

自分というフレームを物理的に構成しているのは身体であり

論理的に構成しているのは意識であろう

なのでこの抽象的な問いは ともすると意識のお話のように感じられるけれども

 

いやいやどうして 身体においても感じるのです

 

例えば有機体という物差しで世界を眺めてみれば それも当たり前のことで

自分の身体だと「感じている」部分も とある塩基配列の一時的な結合の結果 に過ぎず

その結合状態が解除されれば 身体を構成していた有機物は また別の組成に勤しむ

そう ドーキンスの言う利己的な遺伝子のように

 

もっと言えば

身体が活動している間さえも この解除と結合は間断なく繰り返されている

その一連の流れを 僕たちは「寿命期間」というフレームで仮固定していて それを身体だと定義づけている

ヘラクレイトスの万物流転も 福岡伸一の動的平衡も 本質は同じじゃないかな メタフィジカ

 

とすると 自分の身体の物理的境界もまた 抽象概念

つまり 自分の意識が決めているとも言えるのです

 

空間も同じ 繋がるのも閉じるのも 自分の意識が決めているとも言えるのです

 

 

放てば手にみてり

最近少しずつ 自分の物差しの断片がみえてきた気がします