境界2
境界の話
僕は境界線を設計しているのだと思う
僕は自分の境界というものがよく変化してしまう
皮膚の境目が自分の境界ではないのは確か
でも、社会一般的には、自分の境界は身体の境界
それが社会の物差し
歯車を石ころに変えること
自分の物差しを知ること、感じること
見えてると思うものは、見えているという認識によるから
本質的には見えていないものを「見ようとして」見ているだけかもしれない。
自分が歯車だと思っていること、物差しだと思っていること
それを自分の価値基準だと認識している、というその意識自体を自我、アイデンティティと捉え、
そこに個を認知するのが単一的自我、のようなもの
これを自分だと捉えている
でも、じっくり向き合ってみると、それは借りてきた物差し、作られた歯車であることも多い
この物差しの目盛りを見直すこと、歯車の目立てをし直すこと
そうすると、境界線というものが実はグラデーションだということに気づく
そんなふうに空間を捉えている
用途でも機能でも合理性でもない
理屈はないけれども絶対的認知としてある境界を設計する