残光と残響

 
ゆるやかな勾配の天井は、リビングから2階に近づくと急に折れ上がり

わずかな吹抜を残してそのまま2階天井になる

 
そのさきあるのは「あそびラウンジ」と名付けた余白空間

そんな余白に、

壁とも天井とも言えぬ急勾配の面に設けられた窓からの陽光が差し込む

 

手を伸ばせば届く距離感にあるこの窓

普通の窓のような錯覚を覚えるが

ふと足元を見下ろすとそこには吹抜があり

これが天窓であるということを思い出させてくれる

 

しかし、この吹抜はちょっと変わっている

1階から2階を見上げても、天窓と2階の天井しか見えない

2階から1階を見下ろすことはできても

その狭い隙間からは全体を見渡すことはできない

 

 

そう、この吹抜は、開放性を目指した吹抜ではないのだ

 

 

4人の住まい

 

めいめいが思うままの時間を過ごしているとき、人は孤独を楽しむ

でもそれは、孤立していないからこそ、安心して孤独でいられるんだと思う

 

そのために、緩やかで仄かな連帯という場が生まれてほしい

そんな願いを込めて、この狭い吹抜をもつ腰折れ屋根の空間を考えた

 

 

天窓は、陽光で空間を照らすためというよりも、その残光を浸透させるためのもの

狭い吹抜は、気配を響き渡らせるためというよりも、雰囲気の残響を漂わせるためのもの

 

 

物理的には決して広くはないこの空間

でも、この情景を写真で切り取るには、場の連なりが広大すぎるのだ
 

それもそのはず

残光がまどろみ、残響が揺蕩う、その時間も含めての場なのだから

 

写真でその瞬間を切り取ることなど、どうしてできようか

 
 
空間は有限だけれども、場は無限の時空を持つ

そんな住まい

 

 

この住まいを設計してから2年が経つ

家主は今でも時折、この家の残響を届けてくる

 

写真には写しとることができない、この空間の揺蕩いを

届けてくれる

 

設計冥利に、つきること